シバタ稔党地区暮らし・営業対策責任者

シバタ稔の経歴

略歴

シバちゃんHISTORY

小1で三和商店街へ

 私は、朝来市で次男として生まれ、当時は兼業農家で、牛を飼っていました。
 小学校1年生のとき、父が三和商店街で惣菜屋をはじめ尼崎へ。

芸術に目覚めた青年時代

 中学生のとき、受験勉強に励むも、進学校に受からず県立高校へ。
 その反発から「自分のことをもっと表現したい」と油絵を描きはじめ、作家を夢見る青年でした。
 芸術の道へ進みたいと上京し、東京の芸術大学をめざしました。

20才で父の商売引き継ぐ

 大学に受からず、体調を崩して尼崎へ。父の店を継ぐことになり、喫茶シバをはじめました。
 当初、接客が苦手でしたが、お客さんがカウンターで談笑するのが目的で店に来る事がわかり、「自分のプライドを捨てて、正直に生きよう」と輪の中に入り、聞き上手となりました。

親の代から働きづめ

 惣菜屋で両親と7時から19時まで働きづめの毎日。弁当のまとまった注文が入ると、徹夜近くに。
 尼崎市の国民健康保険料が高くて、父が滞納したこともありました。「一生懸命働いても、よくならない暮らし。貧困は仕方ない」と思っていました。

父の死
「自己責任」の政治に疑問

 ある日、父が倒れて入院。ところが、父は医者の安静の指示を守らず、「寝てなんかはいられない。息子一人では大変」と店の手伝いに。その数日後、父は亡くなりました。
 「父は過労死だ。まじめに働いても、生活がよくならない政治はおかしい」今まで「自己責任」とあきらめていたことを悔やみました。

商店街の組合理事として
よき相談相手

 私は商店街組合の役員として商店街の活性化に力を注ぎました。
 高校のときから、油絵を描いてきたこともいかし、セールの飾りつけやアーケードのデザインなど、装飾責任者として協力をしてきました。
 「経費が高い。年末の売り出し削減できないか」一国一城の主で、なかなかまとまらない商店主たちの話を丁寧に聞きました。みんな「シバちゃん」と呼んでくれました。

消費税増税は政治の無策

 消費税が5%から8%へ上がり、店をたたみ、亡くなる人を目の当たりに。「政治の無策さが人々を困窮させる」ことを実感。
 政治を変える一員になろうと日本共産党へ入党しました。
 惣菜屋に来る松村ヤス子市議(当時)。困っている人へ、手をさしのべる姿に感銘をうけました。私は、その活動を引き継ぎます。

コロナ対策で市へ申し入れ

 コロナ禍で商店街は苦境にたたされています。
 私の惣菜屋もこれまで、店頭販売と宅配でやりくりしていましたが、コロナで宅配ができなくなりました。
 私たち日本共産党は、市へ大規模検査や保健所の体制強化とともに、中小商店など困っている人への直接支援を求めました。

母の介護
お金の心配なく過ごせるように

 いま私は84才になる母と暮らしています。認知症になり、面倒をみてもらう安価な特別養護老人ホームを探していますが、待機待ちとなりショートステイに通っています。
 6万円余の国民年金から介護費用が引かれ、母一人では暮らしていけません。4月から介護保険料が値上げされ、ひどい仕打ちです。
 「自助(自分でやれ)」より「公助」を。中核市6位の尼崎市の予算をいかし、安心できる医療・介護へ。